江戸時代中頃、塩田を開拓した際に潮止め堤を築き、それを強化する為に松を植えた。
松は集落を守る防風林となるまでに育ち、美能の松原と呼ばれ親しまれたという。
戦前の僅かな期間、海水浴場にもなった浜は、戦後漁港として徐々に整備されてゆく。
一方で松は酸性雨や台風の塩害、松食い虫などの影響で一本残らず消えてしまう。
埋立地にカキ業者の加工場が並び、幾重もの波止を構える大きな漁港となった内美能。
松原跡にある公園で見つけた小さな記念碑が、この地の歴史を静かに語っていた。
NAWATA
◎島プロジェクト → http://www.shimaproject.jp/
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