大崎下島

面影

瀬戸内で作られていた蜜柑の最盛期の表現に、耕して天に至るという言葉がある。
麓から石を持って上がり、石積みで補強しながら、斜面を畑に開いてゆく途方も無い作業。

島内に開く場所がなくなると、島外に求めて船で通う渡り作、出作が行われた。
蜜柑に限らず、除虫菊やさつまいも、麦等が作られ、島の山は様々な模様で覆われていた。

低い所は放棄地なのに、高い所に耕作地を見ることがある。所有地の問題だろうかと思う。
土地問題は厄介だが、段畑の統廃合ができれば、島の表情も変わることだろう。

NAWATA

◎島プロジェクト → http://www.shimaproject.jp/

関連記事

  1. 大崎下島

    島の記憶 459 ー大崎下島・一峰寺山ー

    島の方の案内で登る機会を得た。道が高さを増す中、手入れされた畑…

  2. 大崎下島

    橋上

    安芸灘大橋、蒲刈大橋、豊島大橋、豊浜大橋。とびしま海道の橋を渡…

  3. 大崎下島

    山林

    江戸時代の山林管理は、官民で分つ現代とあまり変わりは無い。…

  4. 大崎下島

    島の記憶 103 ー大崎下島・大長ー

    昭和59年の本に記載されていた大長への行き方では、フェリー・高…

  5. 大崎下島

    舞台

    大崎下島を舞台のモデルに制作された映画が公開される。主人公…

  6. 大崎下島

    桜咲く天満宮

    写真は大崎下島の御手洗地区にある天満宮。参道を囲うように植えら…

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

CAPTCHA


最近の記事

  1. 広島県の島々

    耕三寺遠望
  2. 江田島

    島の記憶 486 ー江田島・幸ノ浦ー
  3. 大津島

    島の記憶 360 ー大津島・刈尾ー
  4. 横島

    島の記憶 441 ー横島・西音寺ー
  5. 大崎上島

    伝統
PAGE TOP