崩れたのか壊したのか分からない石積みの波止が、引き潮に現れていた。
江戸時代、椋浦港が廻船(海運)業で栄えた頃のものなのだろうか。
椋浦の輸送力は因島一。広島藩一という文政年間(19世紀初頭)の記録も残っているそうだが、
港に千石船が並び、民家300軒と言われた頃の名残を現在の集落に見つけるのは困難だ。
因島廻船は、遠く東北・北陸地方の年貢米輸送にも携わっていたというから驚く。
板子一枚下は地獄と例えられた船乗りの仕事。風と潮が頼りの航海の苦労は、想像するしかない。
NAWATA
<今回取材した『因島』の写真・レポートは下記サイトでご覧いただけます>
◎Shima Project Web. → http://www.shimaproject.jp/
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