若胡子屋は『大崎下島・御手洗』地区に現存する江戸時代の茶屋(遊郭)跡で、写真はその内部を撮影したのもです。 (※現在は、建物崩壊の危険性があるため閉館中)
※現在は補強工事が済み、内部に入る事ができます。 2012.11.15 追記
江戸時代の御手洗は、北前船や参勤交代中の諸大名等が立ち寄る『風待ち潮待ち』の港として栄え、幕府の公用船が停泊する港にも指定されていました。その繁栄の背景には広島藩から許された茶屋4軒(若胡子屋・藤屋・境屋・海老屋)の存在が大きく、中でもこの若胡子屋は、最盛期に100人以上の遊女を抱えていたといわれています。
この地域の茶屋の特徴は、オロチョ舟という小舟で停泊船に近づき、船後家(船乗りの一夜妻)という独特の手法と心構えで船乗りたちの旅の疲れを癒していたことと、ここの遊女たちの教養の高さです。なんでも江戸の吉原や京都の島原と同等の教養を備えていたそうですが、各藩の大名や重役、その他の知識人を多く相手にしていたことを思うと、高い教養が必要になることもうなずけますよね。
Nakagawa
◎Shima Project Web.をまだ観ていない!!という人はコチラ → http://www.shimaproject.jp/
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。